子どもを持つ皆さんへ

  真実をありのままに

  








                                 
「母性偏重を排す」『人及び女として』より



  どの子どもに対しても



  
                                      「愛は平等、教育は個別的」『若き友へ』より



  個別的な教育を

  



                                     「愛は平等、教育は個別的」『若き友へ』より



  与謝野家の子育て実践@









                                    「愛は平等、教育は個別的」『若き友へ』より


 

  すべて親の愛情から











                                    「愛は平等、教育は個別的」『若き友へ』より










私は母たることを拒みもしなければ悔いもしない、
むしろ私が母としての私をも実現し得たことにそれ相応の満足を実感している。
誇示していうので無く、私の上に現存している真実をありのままに語る態度で私はこれをのべる。
私は一人または二人の子どもを生み、育て、かつ教えている婦人たちに比べてそれ以上の母たる労苦を経験している。この事実は、これに書こうとする私の感想が母の権利を棄て、もしくは母の義務から逃れようとする手前勝手から出発していないことを証明するであらう。
親がどの子どもに対しても平等な愛を加えるということは、理知によつて自分の愛情を絶えず訓練するので無ければ出来ない事だと思います。
親は子どもの一人一人が持っている生理と心理の特質をよく読んで、それに適用する個別的な教育法を取ることを怠ってはなりません。
家庭での教育は学校教育の欠点を補正して、できるだけ個別的であることを必要とします。
子どもの中には叱ることを要しないような優秀な素質の子どもがあり、叱って反対に不良な方へ逸出して行きそうな性質の子どもがあるとともに、また叱った方がよい効果のある子どももあります。
現に私の家ではこの三種のどの例にも該当する子ども達と持っていて、叱るを要しない子と、叱らずに寛容にして置く方がよい子とに対しては叱る事をいたしませんが、叱らねばならない必要のある子には教育の一法として叱っております。
私たち夫婦は自覚してこういう個別的な教育法を取っているのです。
私は自分たち夫婦が我子に加えている教育を決して完全とも理想的だとも考えておりませんが、ただいまの私たちの愛情と知識と熱心と境遇とに考えて、できる限りの配慮を子どもたちのために加えているつもりでおります。
私たちは長男と次男とを育てる頃は養育についても教育についても、たびたび思い違いや失策やをしましたが、すべて親の愛情から実際にかつ真剣に試みるということ程よい練習はありません。
私は実験のおかげで次第に甚だしい過失を我子の上に繰り返さなくなりました。