【美紗っぺとよむ晶子の歌 J】

君こひし寝てもさめてもくろ髪を梳きても筆の柄をながめても

くれなゐの杯に入りあな恋し嬉しなど云ふ細き麦わら
(^0_0^)
(^0_0^)
【美紗っぺとよむ晶子の歌 K】
(^0_0^)
【美紗っぺとよむ晶子の歌 L】
沙羅双樹しろき花ちる夕風に人の子おもふ凡下のこころ 

(^0_0^)
【美紗っぺとよむ晶子の歌 M】
椿ただくづれて落ちん一瞬をよろこびとして枝に動かず

(^0_0^)
【美紗っぺとよむ晶子の歌 N】
その子はたち櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
木の間なる染井吉野の白ほどのはかなき命抱く春かな   

(^0_0^)
【美紗っぺとよむ晶子の歌 O】
海背とわれと死にたる人三人して甕の中に封じつること

(^0_0^)
【美紗っぺとよむ晶子の歌 P】
むらさきも青も重なる山を負ひ海に向ひて散るさくらかな

(^0_0^)
【美紗っぺとよむ晶子の歌 Q】
おどけたる一寸法師舞ひいでよ秋の夕のてのひらの上 







  
  
(^0_0^)
【美紗っぺとよむ晶子の歌 R】
ついと去りついと近づく赤とんぼ憎き男の赤とんぼかな

(^0_0^)
【美紗っぺとよむ晶子の歌 S】
後ろより蔵塗りながら物云ひし叔父など見ゆるみそはぎの花

後ろより蔵塗りながら物云ひし
   叔父など見ゆるみそはぎの花  
 『朱葉集』

  この歌の意味は読んだままですね。
  蔵の後ろの方から壁を塗り始めた叔父さんが何やらしゃべっています。
  そんな叔父さんの姿が見える庭先には、薄紅色のみそはぎの花が咲いて
 います。季節は夏の暑い盛りですね。

  美紗っぺから、「何が面白いの?」って質問がくるかもしれないね。
  ホームズは、こういう何でもない日常を詠んだ歌が好きなんです。
  我々が日々暮らしていて、そんなに特殊なことって多くないよね。
  またそうならないように、安心して安定的に暮らせるよう日々努力している
 わけだからね。
  叔父さんの長閑な話し声が聞こえてきて、晩夏の陽に揺れるみそはぎの
 花びらが目に浮かび、平和な一日が想像出来ます。
  そんな想像をしているととても気分が落ち着いてくるんだ。
  ホームズも面白いことに興味を持っていた年代から、何もない平穏な一日
 も悪くないなと思う年代に入ってきたのかも知れませんね。

  寺山修二の詩を一つ紹介しますね。

   東京
   今夜北の風 晴のち曇
   明日北のち南の風
   曇時々 晴のち一時雨

   福岡
   今夜北東の風 曇一時晴
   おそくなってところにより にわか雨
   明日北東一時南東の風 一時雨
   日中は日がさす

  急に天気予報言い出してどうしたの?と思うかも知れませんが、この詩の題名
 を聞いたら納得するよ。【二人】ってタイトルなんだ。
  何もない一日のようだけど、そこにもちゃんと暮らしがあり詩が生まれるんだよね。
 このお話は、安森敏隆氏の「風呂で読む短歌入門」という本に書いていました。

  じゃ、今日はこの辺りで・・・。


ついと去りついと近づく赤とんぼ
      憎き男の赤とんぼかな 
 
 『朱葉集』

  歌の意味はこうですね。
  ふとやって来たかと思うとまたふと去っていく赤とんぼ。それは女心をもて遊ぶ
 ような小憎らしい男(オス)の赤とんぼなんですよ・・・。

  素敵な恋歌だなと思っています。すごくユーモアが溢れているよね。
  誰もが好きな赤とんぼに男性像をダブらせているから嫌味もありません。
  この赤とんぼを青大将に替えて読むと、それこそおぞましい男が浮かんでくるからね。
  ちょっと気になる男性が居たのかもしれないね。本当は自分の方ばかり見ていて
 ほしいんだけど、そうはいかないんだね。
  そこがすごく憎らしい・・・。でもそれだけその人のことが好きだとも言えるんだよね。

  恋は駆け引きだと良く言われます。近づいてくると少し疎ましくなるけど、逆に去って
 しまうと寂しい。お互い意地を張り、好きじゃないと言うんだけど、すごく相手のことを
 気にしているんだよね。
  晶子39歳、こういう歌をさらりと詠い上げるところが素敵だなと思います。
  同じ頃の歌集に同じく「憎い」と詠った歌があるので一緒に紹介しておくね。

  
 四月来ぬ紺のはんてん着るつばめ
         
 憎きことなど云ひそなつばめ   『さくら草』

  半纏
(はんてん)って知ってる。大工さんなんかが着ている背中に○組とか描いてい
 るやつ。あるいはお祭りの時に「祭」と描いてあるハッピのような上っぱりです。
  歌の意味は読んだ通りかな。四月になって燕がやってきます。翼の色は濃紺で、
 まるで半纏を着ているような感じです。そして、その半纏を着た燕は何か小憎らしい
 ことを言いそうな気がしてなりません。
  燕が小憎らしいことを云いそうだという発想がとても面白いよね。
  ひょっとしたら、半纏を着た人から憎らしいことを言われた経験があったのかもね。

  江戸っ子の町の香りが漂って、とても小気味良い読後感です。


おどけたる一寸法師舞ひいでよ
          秋の夕
(ゆふべ)のてのひらの上 『佐保姫』

 
  この歌集『佐保姫』が刊行されたのが明治42年、晶子が31歳の時です。
  長男の光くんが6歳の頃で、その下に次男、長女、次女と晶子はすでに4人の
 母となっていました。
 
  一寸法師のお話は知ってるよね。
  御伽草子
(おとぎぞうし)という江戸時代に書かれた物語です。一寸だから3cm
 ぐらいの小人の法師が鬼を痛快にやっつけて、うばいとった打ち出のこづちを
 叩くと身長が一気に大きくなって、中納言に出世するというお話です。

  きっと、晶子は子供たちに一寸法師のお話をしていたんじゃないのかな。
  呪文を唱えると、手のひらの上に一寸法師が現れるよ!なんて言いながら。
  すました一寸法師じゃなくて、おどけた一寸法師よ出ておいでと言ってるところ
 が面白いよね。それから、ただ単に手のひらの上じゃなくて「秋の夕
(ゆふべ)
 てのひらの上」というのが凄くオシャレだよね。
  これは秋の手のひら、これは冬の手のひらなんてことはないんだけど、こういう
 風に言い切られてしまうと、そうそう…と納得してしまいますね。

  「一寸法師舞ひいでよ!」と晶子が呪文を唱えた途端に、我々読者は晶子
 マジックにかかり、彼女のWorldに魅了されてしまっているんだろうね。


むらさきも青も重なる山を負ひ
         海に向ひて散るさくらかな
    
『心の遠景』

  歌の意味はこんな感じかな。
  紫色にも青色にも見える岬の山を背負うように、今桜の花びらが海に向って
 散っていきます。美しく穏やかな風景、日本の春ここにありって感じだよね。

  前にも書いたけど、晶子の歌にはこのように風景を詠った歌がとても多いんだ。
 でもこういう歌は、残念ながらあまり取り上げられないんだよね。
 
  さて、いつも思うんだけど晶子の色使いの上手さに感服するよね。
  紫と青の山々、散る桜の白い花びら、海のオーシャンブルー、鮮やかな自然の
 色がふんだんに詠いこまれています。
  また、桜の花びらが山を背負うようにという比喩
(人にたとえた表現)は、とても
 大胆でストレートで、すごく気持ち良いよね。
  そして何よりも心を動かされるのが、桜の花びらがまるで自分の意志で海に
 向かって散っていくように表現していることです。ここに詩人の眼差しを感じるんだ。
  花びらだって自分の散る場所は自分で選びたい!
  桜の花に心を寄せ、その代弁者になった晶子を感じるんだよね。

  俳句でも同じ風景を詠った有名な句があります。

   ちるさくら海あをければ海へちる   高屋窓秋

  晶子と窓秋はきっと同じような気持ちで海に散る桜を見ていたんだろうね。


  晶子の歌には背景を知ってないと読めないような歌も結構あるんだ。
  例えば、こんな歌があります。


背とわれと死にたる人三人(みたり)して
          甕
(もたひ)の中に封じつること  『佐保姫』

  まず、背は夫もしくは兄の意味です。昔は夫や兄のことを背子(せこ)、夫婦や
 兄妹のことを妹背
(いもせ)と呼んでいたんだよ。

  歌の意味は、三人の思い出をみんな甕の中に封印してしまいましょうなんだけど、
 じゃ三人って誰?ってことになるよね。
  それが分かり三人の関係を知っていれば壮絶な歌ということが分かるんだけど、
 この歌だけ読んでもそんなことは分かんないよね。

  せっかくだから解説しておきますね。
  三人は鉄幹と晶子と山川登美子の三人です。
  山川登美子は晶子より一つ年下の女性でともに「明星」に投稿する歌友達だった
 んだ。二人は大の仲良しで姉妹みたいな関係。ところが二人とも同時に鉄幹に恋を
 しちゃうんだな、これが・・・。仲良しでありながら恋のライバルでもあったんだ。
  でも登美子は親のすすめで故里の若狭に戻り結婚します。晶子も無事鉄幹とゴー
 ルインして恋のライバル関係に終止符が打たれたと思ったら、登美子の夫は結婚後
 間もなく結核で亡くなってしまいます。
  一人身になった登美子は上京して日本女子大学に入学するんだ。
  恋のライバルが再び晶子の前に現れたんだよね。
  鉄幹も登美子に対して恋慕の情はあったようなので、この時期、晶子の歌には嫉妬
 を含んだ歌も残っています。

  しかし、登美子もしばらくして夫同様、結核に侵され故里に戻り亡くなるんだ。
  当時、結核は不治の病と言われ多くの人がこの病気で亡くなっています。その時の
 追悼歌が上に掲げた歌なんです。
  夫に嘆き友を恨んだこと、嫉妬した自分、割り切れないことも山ほどあったけど、
 今となればそんなことの全てを甕の中に封印してしまい、今後再び言葉にすること
 はやめましょう。そんな悲しい決意の歌なんだよね。

  そんな事情を知らないと、この歌から晶子の壮絶な思いは読み取れないよね。
 でも、これっていいのかな・・・なんて単純に思っちゃうんだ。
  作った人の背景を知っていれば確かにその作品が出来た意図を知ることができ、
 より深く味わえるかも知れないけど、純粋に1:1の関係で作品と出逢うことがなく
 なるんじゃないかと。

  晶子に関わる図書を読んでいて、だんだん晶子が歩んできた人生の情報がイン
 プットされてきています。
  そうすると、この歌はこういう時期のこういう背景の時に詠まれたんだろうと思い
 ながら歌を読むようになります。
  でも正直に言って、それってあまり面白くないんだよね。
  この人はこういう人だから、きっとこう言うだろうみたいな感じで新鮮さを自ら放棄
 しているような気がするんだ。

  晶子は『みだれ髪』という歌集でセンセーショナルなデビューをしたから、その後も
 作品の良し悪しよりより、ワイドショー的に作品を取り上げられるケースが多いんだ。
  自然や故里、旅に出て詠った良質な歌の方が多いんだけど、読者は恋や嫉妬や
 女性の情念を歌ったものだけを取り上げ『みだれ髪』のイメージから離れようとしな
 いんだよね。
  『みだれ髪』も確かに彼女の一面だけど、他の面を見てもらえない、見せても見よ
 うとしてくれない読者を持つ晶子も実は可愛そうな人だったのかもしれないよね。

  長くなりました。色々言ったけど、本日のホームズの結論は<個人情報を出来る
 だけ取っ払い、作品と1:1で相対することが作者に対して真摯な態度ではないだろう
 か>という事でおしまいにします。


君こひし寝てもさめてもくろ髪を
    梳きても筆の柄をながめても
   『青海波』

  寝ても覚めても、髪を梳(す)いても、筆の柄をながめても、思うのは君のことばか
 りという意味の歌です。

  実はこの歌、鉄幹が渡欧した直後に作っているんだよね。
  だからこの中に出てくる「君」はご主人の鉄幹なんだ。
  結婚して11年、すでに7人の子供がいます。これだけでも家事育児に追われ恋心
 を抱く余裕なんてないはずなんだけどね。
  それでも夫の鉄幹に恋しているなんて、にわかに信じ難いよね。
  ホームズが冷たいんだろうか?美紗っぺは、どう?
  晶子と同じ環境になっても、まだ恋を続けられる?
  もしそうだとしたら、晶子は鉄幹と出会ってから死別するまでの約40年間ずっーー
 ーーーーーーーーーと恋をしていたことになるんだ。恋愛期間40年はギネスものかも。
  でも歌を読む限り、どうやら二人は最後まで互いを恋し続けたようだね。

  ホームズの推理はこうなんだ。
  二人は歌で自分の気持ちを伝えることが出来ました。だって歌人なんだもんね。
 面と向かって好きだとは照れくさくて言えない
  けど、歌にすれば案外伝えられる。人生のいつの時期でも、歌に託して二人は
 お互いの気持ちを伝え合ってきたんじゃないのかな。好きだと言われれば悪い気は
 しないから、好きだよと返す。
  そうしているうちにいつまでも好きであり続けられる。
  どんな時でも愛の言葉を掛け合う、だから恋が続く・・・。
  どうだろうこの推理。

  夫婦であり、父であり母であるわけだから決して平穏な時ばかりじゃないよね。でも
 そんな中でも恋を貫き通した二人をホームズは尊敬を通り越して崇拝しちゃうね。

  奥さん、ど〜おゥ。恋をしようよ、恋を・・・。
  (何よ急に!ピシッ!●〜*) 失礼しました。(^0_0^)

くれなゐの杯(さかずき)に入りあな恋し
          嬉しなど云ふ細き麦わら
  『夏から秋へ』

  晶子がパリで鉄幹と再会し、遊学をしていた時の歌です。
  くれなゐの「ゐ」は今の「い」のことです。昔の平仮名の書き方だよね。ちなみに
 「ゑ」は「え」のことだということも、この際覚えておこうね。

  さて、くれないというのは多分赤ワインのことだろうね。
  赤ワインが杯に注がれているパリのレストランでの会話。
  「会いたかったよ」「会えて嬉しいわ」という言葉が飛び交い、再会を愉しむ晶子の
 気持ちが素直に伝わってくるよね。

  「細き麦藁」は麦藁帽子のことだろうね。
  鉄幹が被っていたのかな、それとも晶子かな・・・。
  雛罌粟(こくりこ)の歌と同じように、喜びいっぱいの晶子だね。
  それにしても、晶子の歌の作り方は本当に巧いなと感心しています。
  「くれなゐの杯」「細き麦わら」という具体的な風景を切り取り洒落た情景を創り
 出しているんだ。まるで映画の一場面のような気がしてくるよね。
  ただ、恋しいとか嬉しいとか言われてもどの程度かわからないけど、きちんと情景
 を描写しているから、晶子の心情が読む人に届いてくるんだよね。

  ところで、晶子は約半年間ヨーロッパに居てその間に色んな国を巡っています。
 ベルギー、ドイツ、オーストリア、オランダ、イギリスまで足を伸ばしているんだね。
  中でもパリでは、かの彫刻で有名なA・ロダンに面会し、「次に子供が生まれたら
 私のアウギュストという名前を付けてもいいよ」という言葉をもらっているんだよね。

  そんな楽しい毎日だけど、晶子も母親だから日本に残した子供のことがだんだん
 気になり夏が終わる頃には、情緒不安定になっていくんだ。ちょうど、妊娠している
 こともわかったので、9月に鉄幹を残し一人帰国の途に着くんだ。
  いくら、鉄幹が好きでも、いくら立派な歌人でも子供を犠牲にしちゃいけないもんね。
  晶子も人の子、安心したよね。
  
  帰国後、無事に四男を出産し、その子にアウギュストって名前を本当につけちゃう
 んだ。後に日本語の名前に改名するんだけど、なかなかやるよね。晶子母さんは・・・。
  じゃ、今日はこの辺りでおしまい。


沙羅双樹しろき花ちる夕風に
      人の子おもふ凡下のこころ
   『舞姫』

  沙羅双樹:この木の下でお釈迦様は入滅(瞑想をしながら息をひきとった)した
 と言われています。
  凡下:なかなか悟りを開けない、欲を捨てきれない凡人の意味。
  人の子:ここでは恋人の意味で使われていますね。

  歌の意味はこんなところかな。
  沙羅双樹が夕風に吹かれその白い花を落としています。
  そんな夕暮れには恋人にたまらなく会いたくなり、なかなかお釈迦様のように
 欲を捨て切れない私がいます。

  実は、晶子はこう言いたかったんじゃないかな。
  凡人でもいいから、人を恋することをやめたくない。決して悟りを開くことが
 できなくても・・・。悟りとは、欲を捨て心の安寧
(あんねい)を得ることだと言われて
 います。とすれば、晶子は鉄幹に恋することで心の安寧や安らかさを得ていたわけ
 だから、恋は晶子にとって悟りへの道だったのかもね。

  同じようにお釈迦様を詠んだ歌に

   
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は
         美男におわす夏木立かな
  『恋衣』

  というのがあります。
  釈迦牟尼
(しゃかむに)とはお釈迦様(ゴータマシュダルタ)のことなんだよ。鎌倉
 だから大仏様を見ての歌かもね。お釈迦様ってよく見ればなかなかイイ男じゃん!
 ・・・と言ってるんだよね。当時、不謹慎と言われたらしいんだけど、ホームズは
 とても清々しいコメントだと思うな。お釈迦様もニコッと笑ってピースマークを返して
 くれそうな気配だよね。
  歌の方は、夏木立がすごく効果を上げているよね。この言葉が、鎌倉の町並み
 や古いお寺の風景を彷彿させてくれるし、晶子のお茶目なコメントを爽やかなもの
 に変えてくれている感じがするんだ。
  本当に言葉を魔法のように繰り出せる人なんだね、晶子という人は・・・。


椿ただくづれて落ちん一瞬を
      よろこびとして枝に動かず
  『草の夢』

  この歌は、少し難しいかもしれません。
  でもたまにはいいかな、難しい歌の解釈も。

  椿の花は、咲き誇ったまま首から上が取れるように一瞬にして落ちるんだ。
 ぽてっと落ちる感じかな。普通の花のように枯れて萎
(しぼ)んでしまうようなこと
 はなく盛りのまま散るんだよね。
  それを喜びにして枝に止まっている椿の花よ・・・と詠っているんだね。椿がそう
 いう散り方を喜びにしているかどうかは、椿に聞いてみないとわからないよね。
 晶子はそれを「よろこび」と言い切っているから、どこか自分に投影させている
 んじゃないかと思うんだ。

  どうして落ちるまで踏ん張り続ける椿を晶子は喜びとして見たんだろうか?
  老いていく姿を見せるんじゃなくて、元気で美しいまま死んでいくことを願っていた
 んだろうか?晶子の他の歌からも「死」というものは感じられないからこれは違う
 ようだね。生と死の比較ではなく、ずっとこらえていたものが次の一瞬に動き出す、
 その寸前のカウントダウンがたまらなく快感!と晶子は思っていたんじゃないだ
 ろうか。
 
  新年のカウントダウン、ロケット飛び立つ前のカウントダウンなどとても緊張感と
 次に来る解放感があって何だかドキドキワクワクするよね。晶子はそれを椿の花
 に感じたんじゃないのかな。
  鉄幹を追い東京へ飛び立つ前夜、パリへ飛び立つ前夜の晶子は、まさに枝に
 止まる椿の心境だったのでは・・・。

  この解釈当たっているかな?まあ、当たる当たらないは別にして、散る寸前の
 椿に焦点を当てる晶子の視線がとても好きなんだ。
  ホームズの晶子の歌Best10に、間違いなく入る歌ですね。



  春の歌を二つ並べてみました。

その子はたち櫛にながるる黒髪の
       おごりの春のうつくしきかな
  『みだれ髪』

木の間なる染井吉野の白ほどの
        はかなき命抱く春かな
    『白桜集』

  最初の歌は二十歳の頃、二番目の歌は六十歳を越えた頃の作品ですね。
  一人の女性が四十年を経て、春をどのように感じたのかな・・・なんて思って
 二つの歌をピックアップしてみました。

  最初の歌を説明しますね。これは俵万智の名訳があるからそれを引用します。
  以下、彼女の解説と現代語訳です。

   二十歳の女性の、若さと美しさを、その長い黒髪で象徴する。
   「おごりの」とあるから、傍若無人とまではいかなくても、
   そこには自己陶酔や傲慢さの匂いがほしい。
   二十歳とはロングヘアーをなびかせて
   畏
(おそ)れを知らぬ春のヴィーナス      俵万智『チョコレート語訳』

  晩年の染井吉野の歌は、こういう意味だね。
  木の間に見える染井吉野(桜)のその淡い白色。その薄い色は私の余命を
 象徴するようにはかない白色です。でもその白色のはかない命を抱きながら
 今年も春を過ごしていますよ・・・。
  四十年の月日を経ても同じようにように春はやってきます。
  かつて春の中を闊歩していた晶子、そして余命を胸に抱き春に包まれている
 晶子、その間の年月の重みをホームズは静かに噛み締めています。
  妻として母として歌人として生きた晶子の四十年をね。